fediverse といいながら、サーバ横断的な機能はすごく貧弱だからなあ。
どこかのサーバに所属するのも、個人サーバを立てるのも、どっちも面倒がつきまとう。

ouchi さんがブースト

主要なサーバが重くて使えないとなったとき、大半の人の行動は「他の鯖を探す」ではなく「マストドンだめじゃんと思ってTwitterに戻る」なような気がするのよね...

まあ当の富野が若い人に見てほしいつもりで作ったものがいまいち響いてないという状況は、富野オタには我慢ならないかもね。かわいそうな片思い。

そもそもわかりにくいかどうかは問題じゃなくて、「わかりにくい」をワクワクにつなげられているかどうかの問題。 Gレコはそこが不十分だった、あるいはズレていたということ。

単純な知性の持ち主は単純な手段に魅惑される。
そうした人々はかつては神に魅惑され、科学に魅惑され、そして今は AI に魅惑されている。

「百合作品のような雰囲気を出しておきながら、百合作品にあるまじき描写が端々にあってけしからん。作者ははじめから百合作品とは言ってないと最後に言い訳してるがそれは通らない」
みたいな話。ヲタは厄介(自省)

twitter.com/Perfect_Insider/st

使い方さえ間違えなければ俺たちは大丈夫!
というフラグ。
togetter.com/li/1956520

ある意味、対象分野に対するリスペクトの欠如こそが AI を躍進させる力の源泉なのかもしれない。
そしてそれは絵描きAI の界隈においては、非常に不幸で不快な形で発露しつつある。

あるいは逆に、研究者の背景知識が AI の軛であったのが、将棋を知らない研究者によってその軛が解かれたのかもしれない。

たまたまハードウェアの能力向上が将棋AI の能力を底上げして、AI実装の自由度を高め、研究者の将棋に関する背景知識を「誤差」にする――量が質を駆逐する――歴史的タイミングとなった、とも言える。

コンピュータ将棋の研究を振り返ると、当初は自らも将棋を知っている、指しているような人たちが研究開発をしていたが、ある時期から将棋を知らない人が将棋AI を作るようになった。 そしてそういう変化があった頃にむしろ将棋AI の飛躍的進歩が見られ、人間の棋士を追い抜いたように思われる。

バイオ技術の研究開発がその成果物の漏出について神経を使っていることと比較すると、AI 研究者の倫理観の低劣さは特筆すべきものがある。

AI の生成物に「神々しさ」を感じるというのは、かつての社会で統合失調症患者を「神がかり」扱いしていたのに似ている。

nlab.itmedia.co.jp/nl/articles

AI は何でも出来るようになるだろう。
ただし、本当に何でも出来るという意味ではなく、人間の想像力が萎縮して「何でも」の範囲が AI に出来ることの範囲と同一化するという意味で。

金がかかる活動家は金がかかるが故に活動内容を選べなくなる。
金がかからない(SNSなどで暴れるだけの)活動家は金がかからないが故に活動内容を考えず軽率に行動する。

そして両者の利害は最悪の形で一致するのである。

ouchi さんがブースト

社会運動家のジレンマ 

「何かを変えたくて」社会運動家になる。
支援を受けるためには実績を稼ぐ必要がある。
そもそも、人として食いつなぐためにはカネが要る。
やがて、「社会運動家であり続ける」ために、「何かを変えた実績を稼ぐ」ようになる。

そういう人たちが、こういう結果を「いいことをやった。ヨシッ!」としているんだろうと思う。
twitter.com/shiomura/status/15

ていうかmastodonの何でもローカルに溜め込む性分、ほんと邪魔だと思う。

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