私見だが、「事象の地平面が出来ている」という素朴な意味でのブラックホールは、実は存在しないと思っている。
(ただし傍目には、素朴なブラックホールとブラックホールぽい何かの区別はつかない)
ブラックホール撮影、初の成功 国立天文台など国際チーム
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1904/11/news053.html
物質が、縮退圧などの支えを失って、重力にまかせて中心へと落下するとき、その時間経過はゆっくりになる。特に(自分より内側にいる質量により決まる)シュバルツシルト半径に近づけば、時間経過は限りなく0に近づく。
その結果、無限遠座標系から見ると、物質の落下は停滞する。
これが中心からの任意の半径において起きるので、物質は皆、自分のシュバルツシルト半径に踏み込む手前で停滞する。
こうして、どの半径で切っても「事象の地平面」ができそうでできないギリギリの状態になる。
このギリギリの状態というのは無限遠座標系から見たものなので、当の物質たちはシュバルツシルト半径を踏み越えて事象の地平面を作るはずだ、という意見もある。(というか世間的にはそう考えられている)
だが、この意見には若干の留保がある。
まず、実際に事象の地平面ができるとしても、それは宇宙に 無限の 時間が経過した後のことである。
そしてこの問題の核心だが、宇宙の無限の時間のさらに先に、落下する物質のための「延長時間」を継ぎ足すことが正当かどうか、という点がクリアでない。
「延長時間」を認める立場、認めない立場、を比べてみる。
前者は物質の(あるいは自由落下の)固有時間を物理的な時間とみなす立場といえる。
落下する物質の固有時間は、事象の地平面ができるまでで有限となる。もし地平面ができないとすると、物質の固有時間は有限で断絶することになる。だが、地平面の内と外はシュバルツシルト解の上では連続しているので、物理的な時間が理由もなく断絶するのはおかしい、というわけだ。
いっぽう後者は、物質の固有時間を現象論的なものとみなす。
後者は、物質に与えられている物理的時間とは宇宙全体の無限の時間である、と考える。固有時間はその無限の時間の上に(物理現象で測れる形で)マッピングしたものにすぎない。
つまり、落下する物質は無限の物理的時間を有限の「見かけの」時間にしてしまっただけであり、物理的時間を延長するという特別扱いはない、ということだ。
この立場から見ると、落下する物質たちは事象の地平面を作ることなく、ただ固まって、宇宙の無限の時間を外にいる物質たちと共有する。
ただし、外にいる物質たちは無限の時間を経験する一方で、落下する物質たちは(自由落下から抜け出さないかぎり)有限の時間のみを経験する。
二つの立場は、無限の時間が経過した後に何があるか?という部分で異なるだけである。なので、当該天体を外から見ているだけでは(実際に自ら落下してみなければ)、どちらが正しいか知りようがない。
ただ、ブラックホールにまつわるいくつかの議論(情報量の問題とか)については、こうした立場の違いは一定の意味を持つと思われる。
議論をより見通しよくするかもしれないし、議論そのものが擬似問題に過ぎなかった、なんて結論だってありうる。
ちなみに、もしブラックホールが「ブラックホールもどき」であったとしても、それが脱出困難であることには変わりない。
何しろ落下しているままだと有限の固有時間をどんどん消化してしまうので、早く脱出しなければ、ブラックホールもどきの表面に「凍りつく」ことになる。
注意点として、ブラックホールを表すとされるシュバルツシルト解は「無限の過去から無限の未来まで定常的に存在するブラックホール」を表していて、現実の星などが潰れてブラックホールになる過程を示すものではない。