「選択と集中」は撤退戦の中の博打打ち。確実な選択が分かっているならそれに競争力はないし、不確実な選択はだいたい失敗する。
そのくせ失敗は許されないほど追い詰められてるのが日本社会。

所詮はテセウスの船のバリエーション。

量子テレポーテーションで転送された人間は別人になってるんじゃないか、という哲学的禅問答がある。
そんなことを気にするくらいなら、昨日寝て今日起きた自分すら別人かもしれないと気にしないとおかしい。

「手を使えないのはサッカー選手の限界である」というアホはいない。

twitter.com/dgFrCydWStMhLU0/st

宝くじに当たった人は自分に起きたことに「奇跡」を感じるが、十分な思考能力があればその「奇跡」は確率的に仕掛けられた必然にすぎないと俯瞰できるだろう。
だが「現在」や「自分」についての実感をこうした俯瞰的思考に帰することのできない人は多い。

予め存在してる(ような書き方をされる)四次元時空の中で「現在」が特別に見えるというのは、世界に数十億個もころがってる脳髄の中で「自分」がひとつの脳髄に局在してるのを特別だと感じるのに似ている。

谷村先生のほうにも「ちょっとものの見方が硬すぎない?」と言いたくなるところがあるけど、哲学者側があまりに……なので、印象は谷村先生寄り。

谷村先生の主張で一つだけ気になるのは、相対論が「宇宙全体にわたる現在」を否定している、ってところだな。
相対論が含意するのはそういう「現在」を具体的に特定することの不可能性であって、「現在」そのものの否定ではない。
谷村先生も慎重に特定不可能性のほうを述べているんだけど、その直後で存在そのものの否定に転じるように見えるところがある。

この補足ノートを読んだだけですごい徒労感。実際に哲学者相手にやり取りしてた谷村先生本人には拷問のようであったろう。

谷村先生めちゃくちゃ怒っとるなあ。まあ哲学者サイドがこの体たらくじゃ無理もないけど。

『〈現在〉という謎』をめぐる議論
phys.cs.is.nagoya-u.ac.jp/~tan

鏡に映る自分の姿に対して魂の存在を感じるか? とふと考えていたら、鏡を見るのが怖くなった。

「独裁者の部屋」思い出した。
終わり辺りを見ただけだけど。

ouchi さんがブースト

独裁します宣言してる鯖で生活するディストピアシミュレーションやりたくない???

決定論を非決定論に置き換えれば自由意志が救われる、と考えるのは馬鹿げた話である。
単に、自分の意志がレールに沿って決まる代わりに、さいころによって決まるようになるだけなのに。

嫌なものを見たときはたくさんの情報を浴びて気分を押し流そう。
感情と便は滞留させてはいけない。

このツイート主は、ストーリーの供給の仕方を「作り切り」の形だけだと狭く捉えている。
だが、ソシャゲはストーリーをモジュール的に機動的に供給する形態である。(CaaS, Contents as a Service とでも言おうか)
こうした現代的な仕組みにおいては、顧客が「キャラの掘り下げ」を対話的に要望するのは不自然なことではない。 またこうした形態を一概に低品質と断定するのも言い過ぎだろう。

ouchi さんがブースト

twitter.com/agmcro/status/1180

一連のつい全部読んで「おたくのキャラ妄想離れキツイな…」って思いました

ouchi さんがブースト

明瞭な分析だった.
「高等教育の大衆化に伴い、左派政党の支持基盤が低学歴労働者から高学歴の知識労働者へと、大きくシフトしたのである。高学歴の「左派」支持者は、所得水準が比較的高いので、所得再分配にさほど関心をもたない」
「右派の伝統的な支持基盤はそれほど変わっていないが、左派の支持基盤が大きく変わって、ブルーカラー労働者の味方がいなくなるというエア・ポケットが生まれたのである」
“高学歴な人”ほど左派政党を支持する「先進国の現実」 | Web Voice shuchi.php.co.jp/voice/detail/

もっと見る
Mastodon

個人的な利用・実験のためのインスタンスです。