新しいものを作るのは才能。
新しいものに気づくのも才能。

ouchi さんがブースト

漫画的表現で「これはもう古い」みたいな列挙は散見するけど、最新の表現も添えたものは見たことが無い…

光の速さというのは電磁場の伝達速度である。
他方で、光の速さを測定するために我々が用いる道具(ものさし、時計、etc.)もすべて電磁場によって支配されており、電磁場の速さによってそれら道具のふるまいも変化することになる。

そのため、光の速さと測定の道具は変化する場合にも軌を一にして変化し、結果として光の速さをどう測ってもいつも同じ速さという結果になる。

光の速さを測るというのは、ものさしの長さをものさしで測るようなものである。

ouchi さんがブースト

特殊相対性理論、なぜ光がそのような特別な地位にあるのかというモヤが心の中に長い間あったけれど、光が何かを決定する特別な何かなのではなく、先に速度の上限があって光は条件が揃えばその上限で伝わるんだという視点の変化でモヤが晴れてきた

まあ騒乱ってのはいつも誰かのビジネスチャンスよね。

これに限らず、新型コロナウイルスが出版社にビジネスチャンス扱いされてる感。
game.watch.impress.co.jp/docs/

不況対策にお金を刷っても問題なし、と分かったような顔で言う人は多いが、信用創造の仕組みすら知らないで言ってそうなのばかり。

ouchi さんがブースト

「本当に頭いい人は頭悪い人にもわかるよう説明できる」という風潮は本当に危険で、突き詰めると、本当に誠実な説明よりも嘘をついてまでもわかった気にさせてくれる詐欺が求められることになってしまう

ouchi さんがブースト

環境活動の一定数は、新しい市場創出したいだけに見える

「選択と集中」は撤退戦の中の博打打ち。確実な選択が分かっているならそれに競争力はないし、不確実な選択はだいたい失敗する。
そのくせ失敗は許されないほど追い詰められてるのが日本社会。

所詮はテセウスの船のバリエーション。

量子テレポーテーションで転送された人間は別人になってるんじゃないか、という哲学的禅問答がある。
そんなことを気にするくらいなら、昨日寝て今日起きた自分すら別人かもしれないと気にしないとおかしい。

「手を使えないのはサッカー選手の限界である」というアホはいない。

twitter.com/dgFrCydWStMhLU0/st

宝くじに当たった人は自分に起きたことに「奇跡」を感じるが、十分な思考能力があればその「奇跡」は確率的に仕掛けられた必然にすぎないと俯瞰できるだろう。
だが「現在」や「自分」についての実感をこうした俯瞰的思考に帰することのできない人は多い。

予め存在してる(ような書き方をされる)四次元時空の中で「現在」が特別に見えるというのは、世界に数十億個もころがってる脳髄の中で「自分」がひとつの脳髄に局在してるのを特別だと感じるのに似ている。

谷村先生のほうにも「ちょっとものの見方が硬すぎない?」と言いたくなるところがあるけど、哲学者側があまりに……なので、印象は谷村先生寄り。

谷村先生の主張で一つだけ気になるのは、相対論が「宇宙全体にわたる現在」を否定している、ってところだな。
相対論が含意するのはそういう「現在」を具体的に特定することの不可能性であって、「現在」そのものの否定ではない。
谷村先生も慎重に特定不可能性のほうを述べているんだけど、その直後で存在そのものの否定に転じるように見えるところがある。

この補足ノートを読んだだけですごい徒労感。実際に哲学者相手にやり取りしてた谷村先生本人には拷問のようであったろう。

谷村先生めちゃくちゃ怒っとるなあ。まあ哲学者サイドがこの体たらくじゃ無理もないけど。

『〈現在〉という謎』をめぐる議論
phys.cs.is.nagoya-u.ac.jp/~tan

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