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「令和」
いままで使ってなかった字を使っているからか、今風という感じがする。

それにしても 令 という字はかっこよくバランスよく書くのが難しい。

作り手が「こういうキャラがいてもいいよね」くらいの気持ちで登場させたキャラが、リベラル・ポリコレ連中から「素晴らしい取り組みです!これからも続けてください!」と褒め称えられて都合のいい既成事実扱いされるのは、モヤモヤする。

新元号、もし民主党政権の時に決めることになってたら、すごいキラキラ元号が飛び出すことになったんじゃないかと想像する。

トゥート単位で「読んだからもういいよ」的なフラグがあればいい。
けど多分、DBがひどいことになるんだろうな。

pawooでセルフブーストしてるアカウント、度が過ぎてるのはさすがに邪魔だからフォロー外した。

ていうか、セルフブーストだけ表示抑制したい。
フォローするかしないか、ミュートするかしないかの all or nothing でしか制御できないのは不便。

ouchi さんがブースト

あとゲーセンで新作ゲーム無いか探してたら突然知らない兄ちゃんから「友達になりませんか?電話番号教えて下さい」とか、両替の列に並んでたら、やっぱり知らない兄ちゃんに「1人?もっと良い店あるよ」とか… ちなみに全部神室町()での出来事じゃった

(6) モデルの分岐の中で、Vは「もっとも多くの(あらゆる)議論を展開できる」分岐であると言える。
(7) ゲーデルは数学的プラトニズムの立場から、独立命題の真偽を「生産性がより高くなるように」選択すべき、と主張していたという。
このゲーデルの主張はある意味で(6)にも沿うものである。「生産性の高い」公理系を採るということは、その公理系と結びつくモデルはより多くの議論を展開できるモデルということ、つまりVに近づいていることを示唆するからだ。

(5) (4)のような状況なので、Vがどういうものか定めるのは技術的には難しい。だが実は、この状況を気にする必要はない。
(1)の「すべての集合のクラス」というVの定義を捉え直すと、「人間が集合論について考える上で必要なものをすべて提供してくれるクラス」である。
独立命題の分岐でどちらのモデルを採用しても、正しくVの方であればそれで良し、Vでなくともそれが影響するのは具体的な議論が現れるときなので、都度分岐を切り替えれば良い。つまり、人間の具体的な議論の集積が「必要なV」を形作るのである。

(4) では、どの分岐をたどればVのいるグループに行けるのか。判断基準は「より大きなモデル」を含むほうの分岐を選ぶ、というものである。
この基準は単純ではない。例えば
(a) クラスとして大きな方を選ぶ
(b) 一方で他方をエミュレートできるとき前者を選ぶ
などが考えられる。
だがこのような基準もいつも使えるわけではない。実際多くの場合は、分岐した二つのモデルそれぞれで何が起こるかを研究することになる。

(3) Vを定めるのに(2)の累積的階層は使えないので、(1)の方向で考えたい。
集合論のモデルの多義性は、一つはレーヴェンハイム・スコーレムの定理によるもの、もう一つは独立命題によるものである。ここでは前者はおいて、後者について考える。
集合論は独立命題に対して、それを真とするモデルと偽とするモデルを持つ。つまりモデルの集団を二つのグループに分岐させる。独立命題はω個(可算無限個)あるので、この分岐の末端には2^ω個のモデルのグループがあることになる。
そして、その中の一つにVが含まれているはずである。

集合論のVについて
(1) Vとは「すべての集合のクラス」である。
これは、集合論のモデルの中で最大のものである、という意味に解釈できる。
(2) フォン・ノイマンのVの累積的階層は、Vを無から一意に構成する手続きではない。
Vは予め与えられていて、それを後から階層化する手続きである。これは累積的階層に用いる冪集合を作る操作がVに依存しているためである。

ouchi さんがブースト

学校教育は小学校高学年くらいから学力ごとに区別したほうが良いと思うんだよね、生徒のためにもなるし、学力のレベルに応じてカリキュラムの組み換えができるし
親が区別と差別を取り間違える場合が多いので実現できていないみたいですが……

考えた末に、考える必要はないという結論に至った。

@ouchi 「表現」ではなく「風刺」だったか?

社会における表現を弾圧することで社会が改善されるという考えは、鏡を割れば醜い顔がなくなると考えるのに似ている。

といった感じの言葉には憶えがあるのだが、誰が何処で言った言葉かわからない。

集合論のVが本当は何なのか、ここ数日考え続けてるけどわからない。
考える意味があるかどうかもわからない。

ouchi さんがブースト

表現規制を支持する側の言い分として「目立つようになったのが悪い」というものがあるが、この言い分はLGBTを叩く人たちにもよく見られる。

さて国際社会はといえば、かたや表現規制に肩入れし、かたやLGBTに肩入れしている。
この不整合な光景を見るだけでも、リベラルと呼ばれるものに対して暗澹たる気持ちになる。

ouchi さんがブースト

一部の自称フェミニストの方の行動で「フェミニスト」が悪口になってて絶望感しかない。かつての「クソフェミ」って単語もどうかなと思ってたけど、余計悪くなった感…

「○○のついでに○○をする」「まとめて片付ける」「順序よく進める」
といった短期的効率化は、長期的には非効率となる。

わかっていても癖は改まらない。

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